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 2009年 個展
 川崎市岡本太郎美術館 学芸員 仲野泰生

 

 異形の中の正視なまなざしー本間洋の絵画について

 

 「この情景、どこかで見たことあるな」と、本間洋が描く《よのなか》(2008年)を見て思う。この作品は、鯰がカエルを捕えた瞬間を描いている。この暗い水の中の出来事は、「生き物の捕食と被食の関係」の描写だが、タイトルが示すように私
たちの人間関係そのものを観る者に思い起こさせる。一見、異形とも見える本間の描くカエルや犬は、彼のアイロニカルな世界観にも見えるが、実は彼の日常観を素直に表現しているだけなのだ。
 風刺画として動物を擬人化し、表現することは洋の東西を問わず珍しいものではない。それはモデルとなった犬が本間自身の身近にいる存在だからかもしれない。それらの犬は人間のように焼き鳥を食べていたり、歯をむき出して笑っていたりする。私たちの眼差しは、本間の優れた細密描写と限定された正面生の高いモチーフ、そして背景のない空間という絵画の舞台でのドラマに向き合う。本間が何回も描くために向き合った画面には、彼の眼差しの集積を感じるからこそ、私たちは彼の作品から目が離せなくなってしまうのかも知れない。本間の作品は観る側の眼差しを凍らせ、私たちの価値観を揺さぶってくる。何故なら本間の描く犬やカエルたちは、彼の現代社会に対する正視の眼差しの形象化だからなのだ。
 最近では人間そのものが彼の作品に登場してきた。《しあわせならばそれでいい》は最近社会的事象となっているドメスティック・バイオレンスを題材にした作品。暴力を受けたであろう、腫れた目や唇、ティッシュを鼻につめた呆けた女性の顔は異形の顔にしか見えない。《柳下鬼女図》の顔を思い浮かべた。蕭白が描くこれらの女性像は、異形でありながらも蕭白の卓抜した技量・描写力で、描かれた女性の繊細な内面世界まで感じさせる。蕭白の絵は私に、特定の女性を描いていながら、何処かで出会ったような表情、または誰もが極限状況で見せる真の姿の具象を見る。同じように本間の卓越した技量に裏づけされた絵が、また私に真に迫るのだ。「おまえにもあるだろう、暴力を悦ぶ哀しい心が」と。